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来自豆瓣 · 完整原文
豆瓣原文 ↗ミュージカル映画について、「たとえばミュージカルであれば、『ウェスト・サイド・ストーリー(West Side Story)』(1961,2021)や『イン・ザ・ハイツ(In the Heights)』(2021)のようにニューヨーク市の実在する通りでもよし、『ブリガドーン(Brigadoon)』(1954)のようにスタジオセットされたスコットランドの超常現象的な村でもよし。要は場所を選ばない。歌とダンスというミュージカルの決定的要素のほうが、物語の舞台より優先するからです」と述べられている。この指摘は、さまざまな空間がミュージカル映画の舞台になりうることを示していると考えられる。この指摘の通り、『イン・ザ・ハイツ』はニューヨークのワシントン・ハイツという実在する街区を舞台にしている。ワシントン・ハイツはラテン系移民のコミュニティとして描かれ、人種、移民、階級などの問題を中心にした社会派の物語が想像されやすい空間である。しかし、この映画は、そのような移民街区もミュージカル映画の舞台になりうることを示していると考えられる。
この映画は、もともとブロードウェイ・ミュージカルを映画化した作品である。「登場人物は俳優によって演じられます。その俳優たちも、これまでの役どころや演技によって、彼らなりの意味や含みを伝達します。俳優の体つきが、彼らの演じる役どころを決定することもしばしばあります」と述べられている。この指摘から考えると、『イン・ザ・ハイツ』では、俳優自身の舞台ミュージカル経験も作品の意味に関わっている。Abuela Claudia役のOlga Meredizは、舞台版『イン・ザ・ハイツ』でも同じ役を演じていた。Usnavi役のAnthony Ramosは『Hamilton』でJohn LaurensとPhilip Hamiltonを演じ、Daniela役やSonny役の俳優もブロードウェイ・ミュージカルの経験を持っている。このような俳優の起用によって、観客は作品の世界をより自然に受け入れられると感じた。
「観客になんらかの期待をいだかせますが、裏をかえせばその期待は観客にとっておなじみの約束事に根ざすものなのです」と述べられている。この映画にも、観客にとっておなじみの約束事が含まれている。『Hamilton』の曲が電話の保留音として使われたり、『Hamilton』にも出演したChristopher Jacksonがカメオ出演したりしている。こうした要素は、Mirandaの作品を知っている観客に親しみや驚きを与え、彼らの期待に応えるものだと考えられる。
以前見たミュージカル映画と比べると、この映画の音楽はかなり現代的であると感じた。伝統的なミュージカルらしい旋律や歌い方よりも、『イン・ザ・ハイツ』では冒頭からラップが使われ、ヒップホップやラテン音楽の要素も強く感じられる。ラップは歌詞の量が多く、情報の密度が高い。そのため、登場人物の紹介、人物関係、それぞれの悩みや生活上の困難、物語の背景が短い時間で伝えられていた。また、ラップは日常会話のリズムに近く、歌を中心に進む従来のミュージカル映画とは異なる体験を生み出している。Usnaviは小さな商店を経営し、店に来る人々と会話しながら街を見ている。彼は主人公であり、街全体を紹介する語り手のような存在でもある。そのため、多くの情報を速いテンポで伝えるラップは、彼の若さ、街との近さ、移民コミュニティの中で生きる感覚を自然に表現していると考えられる。
ダンスの面でも、ストリートダンスやヒップホップの要素が多く、古典的な舞台舞踊よりも都市の日常に近い身体表現となっている。ストリートダンスは街の中から生まれた文化であり、即興性や集団で踊る楽しさを感じさせるため、ラテン系移民が多く暮らすワシントン・ハイツの雰囲気にも合っている。
特に印象的だったのは、停電やAbuela Claudiaの死によって街の人々が元気を失ったあと、ラテン的なリズムとダンスによって再び活気を取り戻す場面である。ここで音楽は背景音楽にとどまらず、人々をもう一度結びつける力として働いている。明るいリズムと集団で踊る身体を通して、ラテン系移民コミュニティの熱気、連帯感、困難の中でも生き続ける生命力が表現されていると感じた。
Claudiaが亡くなる前の場面も印象に残った。この場面では、夢の中のような非現実的な空間の中で、彼女が独白するように歌っている。暗い背景の中で、歌う人物や踊る人物だけに光が当たり、舞台のスポットライトのように見える。ここでは、映画のリアルな街の空間から離れて、Claudiaの記憶や内面が舞台上で表現されているように感じた。映画は現実の街や移動するカメラによって空間を広げる一方で、重要な感情を表現する場面では、舞台的な照明や身体表現を残している。この点に、舞台ミュージカルを映画化する際の改編慣例が表れていると考えられる。
明るい音楽やダンスの背後には、移民街区が抱える現実的な問題も描かれている。ワシントン・ハイツでは家賃が上がり、昔からあった安い店がなくなり、より高級な店が入ってくる。この変化は、住民にとって生活費の上昇という直接的な負担となる。Abuela Claudiaがクリーニング代を払えない場面には、街区の高級化が日常生活の細部にまで影響していることが表れている。また、Ninaの物語では、白人が多い大学環境の中で、ラテン系として差別や孤立を経験する問題が描かれている。Sonnyの物語では、給料を前払いしてもらう場面から、在留資格を持たない移民の問題が明らかになる。DACAに関するデモも、この問題とつながっている。
問題の解決について見ると、この映画では、登場人物たちがそれぞれ自分の「夢」を見つけることで、物語が希望のある方向へ進んでいく。Ninaは大学に戻り、将来コミュニティの状況を変えることを目指す。Vanessaはデザイナーとしての創作のきっかけを見つける。Sonnyは法的には困難な状況にあるが、自分の権利のために進もうとする。そしてUsnaviも、自分にとっての「家」や「故郷」の意味を見つける。
ジャンル映画の結末について、「ジャンル映画がどの程度物語の結末を達成しているかは、その映画全体の意味を読み解くうえで重要な要因になります。観客にしてみれば、映画にちゃんと結末があるのなら、登場人物の運命や彼らの行為の結末についてすべての疑問が解決されるからです。そうした作品は、現実問題に対し、小気味よくとも現実的でない解決をもたらします。結末は通例、ハッピーエンドの形をとりますが、それはあらゆる慣習と同様に作りものでしかない。なぜなら人生とは、そうした物語とは違って、その後も続いていくものだから」と述べられている。この指摘の通り、『イン・ザ・ハイツ』の最後は希望に満ちているが、家賃の上昇、移民の法的な不安定さ、人種差別といった問題は実際には解決されていない。登場人物たちは前に進む力を得るが、社会的条件は残ったままである。それでも、音楽やダンス、夢を見つける物語によって、観客である私は強く感動した。しかしその感動のあとに残ったものは、問題の解決よりも、希望を見たという感覚であった。映画の明るい結末によって、社会問題の深刻さが私の中で一時的にやわらげられてしまったとも感じた。